島とバラ色の生活



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夢の島暮らしストーリー⑩ ~刺客その②・ヤスデ~

みなさんは“ヤスデ”という虫はご存知でしょうか?簡単に言ってしまうとムカデとダンゴ虫の間に子供ができてしまった!といった姿、形の虫である。要はムカデのように長細く足がたくさん付いていて、でもあんな邪悪そうな顔はしていない、どちらかというとダンゴ虫の長い奴といった感じ・・・さわると丸くなるけど、ダンゴ虫のように球体にはなれない中途半端なやつなのだ。ヤスデは基本的には害虫ではなく、枯葉等を食べ土をよくする益虫である。その上、ムカデのように咬みついたり、毒があったりなんてことはない。家の中に入ってきても行儀良く隅を申し訳なさそうに歩いている。ただスカンクではないが、触ったり間違って踏んづけてしまうと、臭いガスを発するのである。人間だっておならをするんだから、虫だってガスをだしたっておかしくないだろう!と思うが、このガスが臭い!!たかが3~4cmの大きさなのに、人間のおならより強烈な臭いを発する。人間のおならがこの臭いだったら・・・と想像するとこれは恐ろしいことになる。つまり上手く共存しあえば、なんの問題もないのだ。しかし!!ものには限度というものがある。数匹ウロウロしているのならば気にもならないが、それが何百・何千・・・何万と1度に現れたら、これはもう戦うしかなくなってしまう。そしてそれが現実に起こったのだ・・・長い戦いだった・・・。
引っ越す前から、家の中にたくさん死骸があったのだが、引っ越してからは生きている奴が部屋のあちこちに歩いている・・・。廊下や壁、風呂場やキッチンのシンクなんかにも時々出没する。初めのうちはつまんで外に出していたのだが、何でも一対の雄雌から400匹に増えると聞き、ということは今、家の中にいるやつらが子供を生んだらどうなるんだ??さらにまたその子供が・・・まるでマルチ商法のようなやつらだ。それはまずい!!と危機感を感じ退治することにした。とは言うものの1日100匹以上は部屋の中に入ってくるし、外にはきりがないほどウロウロしている。だんだんノイローゼ気味となり、ありとあらゆる方法で撃退をはかった。しかし数にはかなわない・・・ますます増える一方である。考えてみるとこの辺りには僕の家しか家がないから、ネズミもヤスデもみんな集まってくるのか・・・それとも僕の名前がYASUだから親近感があるのか・・・??いずれにしても退治のしようがない。役場が配給してくれた殺虫剤も数日間の効果で大勢に影響はない。それよりその薬をまくと、毎朝玄関前に何百、何千というヤスデの死骸の山ができる。この始末だけでもうんざりだ・・・。その上相変わらず家の中にはヤスデがウロウロ。「もうイヤだ~!!」と移住数ヶ月にして本気で逃げたくなった。
しかしヤスデと長く同棲していると、いろいろ発見することも増えてくる。たぶん僕は移住1年にして、誰よりもヤスデの習性と撃退法を知っているのではないだろうか。まず、ヤスデは後側をつかむと丸まることができない。そして丸まらないとガスはださない。そしてもっとも画期的な発見は風呂場のタイルを登ることができないことであった。また外から屋根裏に入り込み、部屋に降りてくるという、やつらの動線も発見した。
そこで僕は一か八かの賭けにでた。卓球の友人で、家の内装をやってくれたタカセイの宗さんに相談、まずは天井裏から部屋に通じる喚起穴をすべてスポンジで塞いだ。そして外から屋根裏の侵入できないよう、家の壁面1周に風呂場用のタイル(ツルツルしたやつ)を1列に貼ってもらった。(これは何匹もヤスデを風呂場に連れて行き実験した)すると、部屋の中にヤスデは1匹も出没しなくなったのだ。さらに夜、外を見に行くと、ヤスデはタイルの手前で立ち往生、蜘蛛すら登ることができない。これは完璧な作戦であった。苦節1年、僕はやっとヤスデに勝ったのだ!!役場の環境課の方々も見に来て感心していた。そしてヤスデはそれ以来、今日まで全く出没しない・・・外にもいないのだ。やつらはどこにいったのだろうか?まさか対抗策を考えているなんてことはないとは思うが・・・ちょっと不安である。
もっともひどい時は、玄関前の駐車場が一面真っ黒に染まったことがあった。ふと見ると家の周りのコンクリートの部分もすべて真っ黒、落としても落としてもすぐ真っ黒になってしまう。一体どこからやってくるんだ?と道路にでてみると・・・僕は映画「黒い絨毯」の1シーンにいるような錯覚に陥った。道路も真っ黒なのだ・・・坂の下からどんどん上がってくる。そのまま真っ直ぐ上がっていけばいいものを、何故か僕の家に進路を変える・・・。あまりにもの量に僕は恐怖と焦燥感から戦いを放棄し、家の中へと逃げ込んでしまった。しかし本当の恐怖はここから始まった。家の中もヤスデに占領されていたのだ・・・何百なんて数ではない。とってもとってもきりがない。あっという間にコンビニ袋2袋がヤスデでいっぱいになる。結局朝5時までヤスデとの攻防戦が繰り広げられたのであった。
あの頃に比べると、今は全く平和だ・・・しかし平和な暮らしをぶち壊す新たな強敵が現れたのだ!!こいつらには今年も悩まされている。あのサッカーワールドッカップの第一戦「日本対オーストラリア」をゆっくり見ようと早々と食事の準備をしていた時、襲撃にあった・・・まるでパールハーバーの悪夢を体感しているような感じである。結局夜中の2時まで攻防戦を繰り広げ、結局ワールドカップは落ち着いて見る事ができなかった。
その強敵とは・・・何を隠そう、羽蟻!!

To be continue・・・  羽蟻とはシロアリだったのだ!!
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by isolabella2005 | 2006-06-29 23:00 | 八丈島

夢の島暮らしストーリー小物編③ 懐かしのゲーム盤

最近はゲームというとコンピュータゲームが主流・・・というかそればかりといった感がする。実は僕はコンピュータゲームは好きになれない。それは遡ること高校生時代にあの「インベーダーゲーム」や「スクラッチゲーム」が登場した頃からである。好きになれないのは、実は下手だからである。卓球をやっていたご利益からか「スクラッチゲーム」はそこそこであったが、「インベーダーゲーム」は下手だった。お金をいれてもすぐに終わってしまう・・・。そんなことで僕は当時ゲームセンターといえば、「ピンボール」であった。これは上手かった!!“ピンボールのヤス”と言われたかどうかは定かではないが、下北沢のゲームセンターのピンボールマシンに表示される最高得点者には結構名前が掲載されていた。とにかく「ピンボール」ならお金を入れても十分に元がとれるのだ。まあ、毎日制服を着て家を出るが、そのままゲームセンターへ直行・・・高校1年生の頃は3学期はほとんど学校には行かず、ゲームセンターが学校代わりであった。今から考えると昼間から制服を着てゲームセンターで遊んでいるのに、よく補導されなかったなと不思議である。まあ、当時の国学院久我山高校と言うのはまるで軍隊のような学校で、朝には正門前で先生が10人ぐらい並び服装・髪型チェックをするのである。何回ズボンを取り上げられジャージで下校したか数え切れない!!そんなことで大の学校嫌いであったのだ。当時の僕は昼間はゲームセンター、午後から下北沢のマックでバイト、そのままマックの先輩と夜の街へ繰り出すといった不埒な生活ぶりだった。その生活を変えるきっかけが音楽との出会い、というかマックで知り合った音大付属高校に通うじゃじゃ馬娘であった。大嫌いで「必ずマックから追い出す!」と宣言していたのだが、何故か飲み会の席で音楽の話で盛り上がり、「バンドを組もう!」ということになった。そのままつき合うことになり、まとも(?)な人生へと方向転換したわけである。それにしても僕がつき合う相手はそんなきっかけばかりだ。初めは嫌いなのに、飲み会で盛り上がり、そのままつき合ってしまう・・・そう言えば、今の奥さんもそうだった!!さんざん周りから勧められたが、お互いに好みではなく却下していたのに、先輩の結婚式の2次会で盛り上がり、そのままつき合ってしまった・・・。話はずいぶんと横道にそれてしまったが、要は今でもコンピュータゲームには肌があわないのである。
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何年か前、海外の中小企業が集まる展示会に行った時、この懐かしいゲーム盤「バックギャモン」を見つけた。この「バックギャモン」は高校生の頃、よく友達と行った吉祥寺のおしゃれなカフェ「FUNKY」で覚えた。今でもこのカフェは存在するが、30年近く経った今でもおしゃれである。当時は仲の良かった友達が吉祥寺に住んでいたので吉祥寺ではよく遊んだ。映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」がヒットし、ディスコ全盛期である。吉祥寺にも数件ディスコがあり、土曜日には“ナンピングマシーン”に変身し、よく出掛けた。早めに入場するとドリンクが飲み放題となるため、早めに行きガンガン飲んでしまい、結局酔いつぶれてしまう・・・早い話バカであった。おっとまた昔話に行ってしまう・・・やはりゲームというと昔を思い出す。そんなことでこの懐かしいゲーム盤「バックギャモン」を購入した。しかし情けないことに、ゲームのやり方を覚えていない・・・海外物なので説明書を読んでもわからない・・・結局未だに装飾用の小物としておいてあるだけだ。(誰か知っている人、教えて!!)
そしてこの前もちょっと紹介した、懐かしの「野球盤」。
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これは僕らが子供の頃夢中になった野球盤ゲームとはちょっと違うアメリカの「野球盤」である。木製でできたレトロな体裁が渋い!!そして何より嬉しいのが「ピンボール」タイプなのである。まさしく僕のためにあるような野球盤だ!こいつとの出会いは遡る事1週間前・・・有楽町の朝日ホールで「原子力開発機構」なる難しい独立法人の報告会があり、その総合演出のため有楽町に行っていた。本番までに時間が少しあったので、ちょっと阪急百貨店に出掛けてみた。というのは朝前を通ると雑誌「ソトコト」のイベントショップが期間限定で行われているとの案内が出ていたのである。これは行かなければ!!ということで抜け出したのだ。しかしその「ソトコト」の前に別のイベントショップが出店されていて、その店頭にこの野球盤他レトロなゲーム盤が展示されていた。もう気になって気になってしょうがない。お店の店員さんに「夕方来るからとっておいて!」と誓いをたて、再度夕方訪れたのだ。この野球盤、メーカーはアメリカ・シアトルの会社で「Front Porch Classics,Inc.」という会社である。商品名は「CIRCA BASEBALL」。日本では「ブリックス」という会社が輸入販売しているようだ。価格は確か8000円ぐらいであった。
毎晩ひとりでこっそりとやっているのだが、未だホームランの穴に打ち込むことができない・・・。僕のピンボールの腕も落ちてしまったもんだ・・・??
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by isolabella2005 | 2006-06-28 11:13 | 八丈島

白井さん25周年おめでとう!

もうすぐ島の夏祭りである。昨年は白井貴子さんを招き、台風の中、ずぶぬれになりながらライブを行ってくれた。あの時は結局東京にしばらく帰れず、ずっと我家と一勝さんのところで飲んでいた・・・。あれから1年・・・時間が経つのは早いものだ。昨年はいろいろな仕事をお願いしていたこともあり、しょっちゅういっしょに飲んでいた記憶があるが、そう言えば今年は1度もお会いしていない。元気で活動しているんだろうか・・・??
すると先日白井さんの旦那の本田さんから連絡が入り、今秋からデビュー25周年の全国ツアーを行うというのだ。それもデビュー当時のバックバンド「Crazy Boys」を再結成させてのツアーらしい。東京はツアーファイナルとなり渋谷「SHIBUYA-AX(代々木体育館の裏)」で、10月29日に行われる。これは是非行かなくては!!
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チケットは8月5日から一般発売される。詳しくは下記の白井さんの公式ホームページで!!
http://www.takako-shirai.jp/25th/index.html
八丈島のみなさんも、時間とお金に余裕があっても、なくても、是非見に行ってください!!本田さん曰く、相当気合が入っているそうです。
僕は東京はもちろん、大阪公演もたまたまインフィオラータで大阪にいそうなので行けるかも?今から楽しみです!!
白井さん、デビュー25周年おめでとう!!
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by isolabella2005 | 2006-06-27 23:28 | 八丈島

夢の島暮らしストーリー小物編② オリジナルヴェネツィアンマスク

次なる小物は「ヴェネツィアンマスク」である。僕は2001年、「日本におけるイタリア年」の公認イベントとして、晴海トリトンスクエアのオープニングイベントにこの「ヴェネツィアンマスク」をもってきた。毎年2月、ヴェネツィアで行われるヨーロッパ3大カーニバルの1つ「マスクカーニバル」。そこで人気の高いグループ「La Bottaga dei Sogni」に着目した。アオスタから25人のマスケラ達を招聘、照明アーティストの第一人者である“藤本晴美”さんに協力を依頼し、トリトンスクエアのテラス全域をステージに見立てた、光と音によるファンタジックなマスクパフォーマンスを演出した。これは今までの僕の仕事の中でも1・2を争う素晴らしいショーであった。
そんなことがきっかけとなり、毎年のように2月のカーニバルには訪れていた。ある時は観光客として、またある時はマスケラとして・・・。そして昨年1月、東京ドームで読売新聞社主催による「イタリアフェスティバル・イン・東京ドーム」というビッグイベントが2週間行われた。僕はこの企画プロデュースにも携わっており、またまたアオスタから「ヴェネツィアンマスク」を招聘。今回はショーのみならず、衣装やマスクの展示、コスチュームの試着体験、マスク創作教室等、複合的にイベントを展開、特に本場ヴェネツィアから取り寄せたマスクの創作教室は連日大反響で、1000個取り寄せたマスクがすべて完売となってしまった。
このイベントに友人でもあるアートディレクターの浅葉克己さんとミュージシャンの白井貴子さんが遊びに来てくれた。特に白井さんは大のイタリア好き(というよりワイン好き?イタメシ好き?)なので、期間中何度となく足を運んでくれた。ちょうど2人とも同じタイミングで来たということもあり、マスク創作教室に参加してもらった。その狙いは・・・「八丈島の引越し祝いに、オリジナルのマスクを創って!!」ということであった。イベント会場の、それもイタリアイベントならではのノリで頼んだものの、よくよく考えると浅葉さんは紫綬褒章を受章した日本を代表するアートディレクターである。イベント会場のノリは、人を怖いもの知らずにしてしまうようだ・・・。しかし両人とも気持ちよく了解してくれ、黙々と自分の世界に入り込んで創作していた。
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これが完成した両人の作品。左側が浅葉さんのオリジナルマスク、右側が白井さんのオリジナルマスクである。ちなみに中央は僕の作品・・・。浅葉さんの作品テーマは「八丈島の星と太陽」、浅葉さんならではのトンパ文字が記されている。白井さんの作品テーマは「マーガレット」、白井さんの活動テーマでもあり、自らのテーマソングにもなっている。女性らしいかわいらしい作品だ。二人とも素晴らしい引越し祝いをどうもありがとうございました。完成後の記念撮影・・・「ハイ!チーズ!!」。
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この他にも、ヴェネツィアで購入してきたマスクが何個か家に飾ってあるが、現地ではいろいろなデザインや形のマスクが販売されている。ワゴン等で売っているポピュラーなものから、アーティストが工房兼ショップとして売っているものまで・・・カーニバルの時期以外でも、こんなショップを見ながらヴェネツィア散策をするのも楽しい。そして前にも書いたが、ヴェネツィアに行くならば、必ずブラーノ島へ足を延ばすことをお勧めする。
最後にヴェネツィアでの馴染みのマスクショップ「Magie di Carnevale」。左側の老夫婦が店のオーナー。なんとも気前がよく明るい。初めて行った時からバックヤードに案内され、美味しいワインを浴びるほど飲まされた。その後もいつ行ってもご馳走が待っている。まるでイタリアの一勝さんだ!!そして真ん中のイタリアーナが娘さんでマスクアーティスト。そして右側の2人が「La Bottaga dei Sogni」の主宰者、デボラとロベルトである。ロベルトとは日本でいつも喧嘩になるのに、何故か仲がいい。デボラ曰く「2人は似ている」らしい・・・。僕はあんなに細かくないのに!!
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ヴェネツィアにお越しの際は、是非行ってみてください!気のいい老夫婦と“ビンバ”という賢い犬が明るく迎えてくれます!!
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by isolabella2005 | 2006-06-27 14:17 | 八丈島

久しぶりにインフィオラータニュース!

今日というか昨日はアンラッキーな日であった。一勝さんに会いに大賀郷へ向かう途中、何故か車内の音がおかしい?ゴツゴツ音がする・・・。しかし気にもせず走っているとその異常な音は振動へと変わっていった。「これはまさかパンク?」とその時初めて察し、大賀郷のNAKAMURAの駐車場に停車・・・するとビックリ!!右側の後輪のタイヤがバーストをしたように裂けているではないか!!これは尋常ではない・・・。すぐさま近くのコスモ石油に走り、修理を依頼した。幸いにもスペアタイヤがあったので履き替える・・・ところが何故かタイヤの寸法が違うではないか!?すぐにコスモ石油の人が島中にタイヤの在庫を尋ねてくれたが、特殊なサイズのため見つからず・・・結局サイズの違うタイヤを取り付け、まるでびっこを引いているような格好になってしまった。たぶん昨夜、卓球の懇親会の後、家の近くの縁石にガツッ!と引っかかった時に傷ができたのだろう・・・高くついてしまった。
僕も島に移住し1年半が経った。半ばフリー(プータロー?)状態でイベントの企画プロデュースを行ってきたが、最近そろそろ島で真面目に仕事をしようかと考え始めるようになった。とはいっても、年齢的に今から就職できるわけでもないし、会社勤めが勤まるような輩でもない。なにせ大学を卒業してから1度たりとも人様の会社に勤めた経験がないのである。そこで前々から考えていた事業を興すことにした。そうすれば島の産業誘致にもなるし、上手くいけば多少の税金は払えるかもしれない。そうだ!島の産業活性化にもつなげられるかも??等と楽観的な事業計画を空想する。とはいえ、事業を始めるためには資金が必要である。1年半無駄遣いと遊びほうけていたため資金の余力等あるわけがない・・・。そこで唯一?の僕の財産ともいえる「インフィオラータ」の商標とノウハウを活かした「インフィオラータ」の専門プロデュース会社を設立することにした。現在年間12会場で実施されており、年々実施回数も増加している。そして春夏秋冬、屋内・屋外、雨天・晴天と様々な環境・状況で40回近くの実施ノウハウもある。この貴重な実績と僕の人間性?、そしてインフィオラータへの思いを“武器”に、出資者獲得の旅にでた。(と言っても東京と大阪)お金を出してくれれば誰でもいい!というわけにはいかない。新しい会社といえど、誰もが一目で信用してくれるような一流の株主に集まってもらいたい。そして何よりインフィオラータに夢をもってくれる株主でなければならない。そこで僕が今までお世話になった偉人の皆様にお願いすることにした。敢えて事業計画書等の書類は作らず、僕の考えと思いを口頭のみのプレゼンテーションで行った。仕事をしてお金をもらうのは得意でも、まだ仕事もしていないのに、ましてや海のものとも山のものともわからないものにお金をだしてくれというのは中々言い辛かった。しかし皆さん全員快く賛同していただき、まずは第一関門を突破することができた。書類もなく、人によっては電話での説明でもあったのに・・・そんなに信用してもらっていいのだろうか??今回は資本金が集まったという喜びより、これだけの人たちが僕を信用し応援してくれることにすごい感動を覚えた。
新会社はまだ正式な名称も決めてはいないが(だいたい決めてはいるけど・・・)、今後7月中旬までに事業計画を作成し、八丈島にちなみ8月8日に設立したいと考えている。今まで以上にクオリティの高いインフィオラータの制作技術開発、今まで制作してきた原画デザインのアートバンク機能、そして全国各地で制作に参加いただいた方々による会員組織化、最終的には社会貢献事業に発展させていきたいと考えている。これからインフィオラータは八丈島から全国に発信されることになる。足元である八丈島でも是非継続的なフェスタとして実施していきたいものだ。そしてインフィオラータの淵を飾るグリーンについては現状の杉の葉に変え、八丈島特産であるロベの葉を使用していくことも考えられる。1回の実施で最大10,000枚近く必要となるので、年間すべてロベで行えば、100,000万枚近い出荷となる。そうなれば少しは島の産業活性化にも貢献できるかもしれないし、何百万人の来場者に向けたいいPRにもつながるだろう。正式な設立が決まったら、またブログで発表します!!乞うご期待を!!
新会社でプロデュースするインフィオラータは9月からスタートを予定。仙台・小田原・大阪・東京等、年末にかけ7~8会場が候補にあがっている。こちらも決まり次第、ブログで発表します。
頭の中では社名の候補はあるのだが・・・何かいい社名ありませんかね??
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by isolabella2005 | 2006-06-27 01:53 | インフィオラータ

夢の島暮らしストーリー⑨ ~刺客その①・ネズミ~

いつの間にか引っ越して、家庭崩壊のその後はどうなったの?やきもきされている方もいらっしゃるかと思いますが・・・。実は2005年1月は初旬から2週間、東京ドームで「イタリアフェスティバル・イン・東京ドーム」というイベントを行っており、家庭内でもめているような状況ではなかったのである。連日朝から晩まで東京ドームでイタリア三昧、閉館後はイタリア人スタッフ達と飲み会の繰り返しであった。引越しの準備すら全くできない状況である。そして閉幕後、バタバタと引越し準備、そして発送手続き等等・・・嫌味の1つすら言える余裕もない。そんなことで、家庭崩壊途中のまま時間が止まり、いきなり引越し当日となったわけである。そしてそのまま八丈島に1人でいるわけで、家庭戦争は休戦中となった。しかしおたがい心の中では「こんなやつとは、やっていけない!」シンドロームが着々と蔓延していっていたのである。ただおたがい電話もしないし、顔もあわせないので、表面上はなんの進展もないといった、いわゆる別居状態に見られるモヤモヤである。ここでどちらかが寂しさから不倫でもすれば、ありきたりの昼のメロドラマとなるのだが、残念ながらその期待にはそえることができなかった。(本当に!!)
さて島での未知の暮らしが始まると、次から次へと島の洗礼にあった。前述した寒さもそうであるが、まずはネズミ!!リフォーム前にさんざんネズミの被害を目のあたりにしていたので、部屋の中には入れないよう、侵入口はすべて塞いだ。しかし屋根裏までは手をだせなかった・・・。ある日の明け方、突然天井で「バタンッ!」とものすごい音がした。何事かと思い飛び起きる。なんの音だろうと不安と恐怖に怯えていると、「ダッダッダッ・・・」と走り回る音に変わる・・・「ネズミだ!」。しかしどうしたらいいのかわからない・・・。そこで大きな物音がすれば驚いて出て行くだろうと考え、アトリエからジェンベ(アフリカの太鼓)を持って来て、ネズミの足音とともに叩いて回る。「ダッダッダッ!」、「ドンドコドン!」、「ダッダッダッ!」、「ドンドコドン!」・・・まるでネズミとセッションでもしているようだ。今書いていても、そのコミカルな姿が目に浮かび、あまりにも情けない・・・。そしてこの意味のないセッションは決まって連日朝5時から6時までの1時間続いた。仕事柄寝るのが夜中の2時頃のため、これには体力的にもまいった・・・。結局意を決して屋根裏に登り、粘着性のネズミとりを仕掛けに行くのであった。
僕の今までの暮らしぶりや性格から考えると、屋根裏に登ってネズミとりを仕掛けるなんて行動は考えられないことである。たぶん家族なんかは想像もつかないであろう。パーカーをかぶり、タオルを顔にまきつけ、軍手をはめて、まさに完全防備のスタイルで挑む・・・。そしてやつらの通り道と思われる場所に罠を仕掛けるのであった。しかしやっている内に結構楽しんでいる自分に驚く・・・。果たしてやつらは罠にかかるのか??楽しみだ!!
すると早速その晩、突然いつもより大きな音が天井裏から聴こえる。これがまたすごい音である。初めは何が起きたんだ?と戸惑うがすぐさま状況が見えた。「かかった!!」。そう、やつらが罠にかかったのである。翌朝、また完全防備なスタイルで天井裏へ・・・するとかかっていました!!3匹も!!よほど腹が減っていたのだろう。実は罠の真ん中にチーズを置いておいたのだ。それもワインのお供に食べようと買っておいた高級クリームチーズ・・・。しかしここで問題が起きた。罠を撤去できないのだ。というより触れたくない・・・屋根裏で30分悩む。結局ビニール袋をかぶせなんとか処分することができた。まだゴミ回収日には日にちがあったので、玄関脇に置いておいたら、何故か次の日丸ごとなくなっていた??・・・後から気づいたのだがイタチが持って行ってくれたようだ・・・イタチ君に感謝!
この後、しばらくネズミの来客はなかったが、1ヵ月後にまた登場。しかしその時も見事罠にひっかかってくれた。その後は粘着タイプでなく、食べると外に出て行き死んでしまうという便利な薬を屋根裏に配布した。するとこれは効果てきめん!配布した翌日からは一切いなくなる。最近では年に1回春前に登場する程度になった。
しかし1度粘着タイプの回収を忘れ、何ヶ月も罠にかかったまま置いておいたことがあり、これは見た目も臭いも最悪で回収するのに相当の勇気が必要となった。幸いなことにまだ部屋の中には一切来ていないのが救いである。
しかし島の刺客はネズミだけではなかった・・・これはまだまだ序章、ヒッチコック顔負けの刺客たちが次から次へと登場するのであった。それらをまるでゲームをクリアするかの如く、対応し現在にいたっている。引っ越した当初と比べたら、本当にたくましくなったな~。
果たして次なる刺客は・・・?

To be contiue ~ヤスデに悩まされて~
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by isolabella2005 | 2006-06-26 21:33 | 八丈島

夢の島暮らしストーリー小物編① ZIZYの和紙アート

ここで話を変え、我家の空間を演出してくれる小物達を紹介したいと思う。数年前、初めて会社に社長室なる空間ができた時から、出張や旅行先等でちょこちょこ集めはじめはまってしまった。昔はこんな雑貨やアートにお金をかけるなんてばかばかしいと思っていたのに・・・やはり自分だけの空間ができると考え方は変わるものである。八丈島では今までの1部屋から1軒へと空間が広がったため、小物たちの量も生半可ではない。玄関からキッチン、トイレ、バスルームに至るまでテーマを決めて考える。しかしまたこれが楽しいのである!!出張や旅行等に行くと必ず雑貨店やギャラリーに足が向いてしまう。特にアジア系の店には弱い・・・。ふらふらと入ってしまうと最低1時間はでてこない。そして毎回毎回同じような生地や小物を買いあさる。今まで生地なんて全く興味もなかったのに、今では生地博士と言っても過言ではない。生地というのは面白い!使い方や組み合わせ方で様々なイメージを創りだす事ができる。大小様々な生地が各部屋の演出を効果的に見せてくれる。

f0000593_2375579.jpg今回紹介するのは前回のブログでもちょっと紹介した小笠原の和紙アーティスト“ZIZY”の作品である。“ZIZY”とは島在住のクラフト作家・「ZIZY」こと成瀬勉氏のこと。小笠原は父島、小港道路を南に進み、夜明け道路に曲がったところに彼の工房兼ギャラリー「わしっこ」がある。成瀬氏考案の和紙でできた魚たちのお店で、和紙でできているから「わしっこ」-和紙っ魚という。氏の作品のモチーフは小笠原に実在する魚たちである。

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氏の代表作である上の写真の「おばけさんごカサゴ」は、全国推奨観光土産品審査会で運輸大臣賞(民芸部門第一位)を受賞した。僕は1998年に初めて小笠原を訪れた時、このギャラリーと出会った。仕事に疲れ、精神的にもボロボロ状態だった時、突然小笠原へ旅立つことを決め、3日後の船に飛び乗った。小笠原への船は1週間に1便・・・つまり行ってしまったら1週間は帰ってこれないのである。僕は帰りの切符は買わず「仕事がしたい!」と思うまでは帰ってこないことを決意していた。そして父島で宿をとった「父島コテージ」の裏にこのギャラリーがあったのだ。
カフェ併設のギャラリーに入ると、当時、アートや雑貨等に全く興味がなかった僕の目を釘付けにした作品に出会う。それは魚のレリーフ。分厚い和紙に凹凸をつけ、色を塗り、半立体の魚拓のような作品である。これがまた本物!みたいなのである。値段も聞かずに「これ売ってください!」。
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これは“カッポレ”のレリーフ。これでもワイド62cmもある。価格は4800円!こいつは今、囲炉裏の部屋の入口に展示している。玄関から入るとまずこの“カッポレ”がお客様をお迎えする。
結局小笠原逃避行は2週間続き、イルカと泳ぎ、ザトウと出会い、鮫に追いかけられと充実した島生活を送ることができた。特に父島コテージのテラスから見る景色は素晴らしく心が洗われた。そしてはじめて見るザトウクジラの雄大さは感無量であった。お陰で1週間も過ぎるとテラスで企画を考えるまで回復していた。その後も時間ができるとちょこちょこ小笠原に戻った・・・そしていつかはこの島に住むことを目標としたのだが、それから7年後、700km手間の八丈島に住むことで、とりあえず目標は達成??
先日、突然「ZIZY」の作品がほしくなった。今回は小笠原に行く時間も術もなく、ネットで検索してみた。するとあるある!その上ネット販売もしているではないか!!(わしっこのURL:http://www.zizy.jp/index.htm)早速“バショウカジキ”のレリーフを注文。これはワイド90cmもある。価格は9800円也!!この作品は今、ダイニングの壁面を飾っている。
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そして注文時に過去のいきさつをメールに書き添えた。数日後、当時カフェでコーヒーを入れてくれた奥さんからメールの返信があった。残念なことに「ZIZY」は2年前に亡くなった・・・。実は彼も東京である企業の社長をしていた。業種的にも僕と1部共通する点もあった。「定年になったら島に移住し好きなことを思いっきりしたい」と言い、定年前に小笠原に移住、そしてこの工房を開いたのである。夢を実現・・・大好きな島に移住し、大好きなアートを創作してきたのだが・・・もっとたくさん新たな人生を楽しんでもらいたかった。そしてもっとたくさん素晴らしい作品を創作してもらいたかった。今では氏の弟子が後を継ぎ作品創作を行っている。なので今回購入した作品は弟子の作品である。しかしながら氏の志を継いだ素晴らしい作品で満足している。
そしてもう一つ「親子クジラ」のタペストリーも購入した。これは玄関に展示、僕の大好きなザトウクジラの親子がモチーフとなっている。
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以上「ZIZY」の和紙アートである。最後に僕の人生の中で消えることのない素晴らしい小笠原の思い出・・・その一つである「ZIZY」に感謝と冥福を祈りたい。
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by isolabella2005 | 2006-06-26 01:02 | 八丈島

夢の島暮らしストーリー⑧ ~引越し~

八丈島への引越しにあたり、僕は重大なミスを犯してしまった・・・。八丈島=南の島という勝手なイメージばかりを膨らまし、冬でも泳げないまでも、トレーナー1枚あれば十分暖かいだろうと信じきっていた。だからエアコンなんかは夏までに設置すればいいと思っていたし、電気ストーブ1台あればOKと思っていた。しかし島の2月は寒い!!特に朝晩は東京ほどではないが寒くて耐えられない・・・。なんてったって、そんなイメージを持っていたので、小さな電気ストーブ1台と布団は掛け布団1枚、もちろん毛布なんてものは持ってきていない。服だって真冬のものは全部東京に置いてきてしまった。家族とはそんな調子のため「服を送ってくれ」なんて意地でも頼めない・・・。結局、そんな僕の情けない姿を見かね、信用組合の淳夫さんが石油ファンヒーターを貸してくれた。本当、心も体も暖まりました。その後、この石油ファンヒーターは大活躍!!仕事をする時はアトリエで、食事をする時はダイニングで、そして夜寝る時は寝室へと、僕と常に行動をともにしていたのである。淳夫さん、重ね重ねありがとうございます!!
話は戻り、引越しの日は八丈島は大雨・・・にもかかわらず伊藤さんグループは、港と我家を何往復もし家財道具を運んでくれた。本当に助かった・・・。両親が手伝いに来てくれたお陰で、部屋もなんとか片付き、食事も寝ることもできる状態になった。外装も内装もバッチリ!前の廃屋イメージは完全に払拭された。特に半年前に1度しか見ていない両親は本当にビックリしていた。母親なんか「この家には絶対に住みたくない!」とか言っていたのに・・・。
特に囲炉裏やステージ、廊下の床を塗り替えたのが大正解であった。今もなお、ちょこちょこと暇さえあれば内装をリフォームしているが、この時は感動的であった。そして両親も2泊3日で帰京、いよいよこの馬鹿でかい家で初めての一人暮らしが始まる・・・果たしてどうなることやら??この時、掃除・洗濯は得意なものの、食事は一切自分で作ることができなかった。ちなみにご飯を研ぐという作業すら知らなかったのである。要は米をお釜に入れてスイッチを押せば炊けると本気で思っていたのである・・・世間知らずもはなはだしい!従ってしばらくの間、僕の食事は菓子パン・レトルトカレー・カップヌードルのローテーションであった。
果たしてこの後、島での生活はどうなるのか???そして家族との関係は???
ここで番外編として改装後の我家の一部をご紹介します。

ここがかつてはステージだった部屋、今はアトリエ兼シアタールームとして、もっぱら夜は映画館さながらの大音量で映画を鑑賞。
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続いて囲炉裏とダイニング。ちなみにまだ囲炉裏は1度も使用していない・・・。
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続いて寝室兼趣味の部屋。ベッドはつい先月ヤフーオークションでおとした新品、これはラッキーであった。趣味の部屋ではお気に入りのオーディオと絵画、そして全然使っていないピアノが1台・・・そしてこの奥が茶室。この部屋が最も最近リニューアルしたばかり。
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そして玄関と客間・・・玄関のこのアートは小笠原(父島)でアトリエを開いていたZiZYの作品。初めて小笠原に行った時に出会った、お気に入りのアーティスト。この和紙のザトウクジラは最近購入したのだが、ZiZYは2年前に亡くなってしまったらしい・・・残念だ。
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そしてお気に入りのアート達・・・最近購入した「がんとうつよし」氏の花のデザインは、色使い構図ともにお気に入り。まだ若い画家だが2枚買ってしまった・・・。明治の画家「竹内栖鳳」氏の掛軸のテーマは「一樹一屋」。これは僕が島に移住した思いそのままである。アイマスクは僕の移住を祝い、「浅葉克己」氏と「白井貴子」氏がオリジナルで創作してくれたもの。こんなアートやおもちゃが部屋中にある・・・要は家全体が、前の持ち主の意向を沿うかのように趣味で固められているのである。まあ、家族が来なかったからできたようなものである・・・不幸中の幸いかな??
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そして最後は野球盤ゲーム・・・このレトロでエキゾティックなデザインが気に入り、今回買ってきてしまった。夜、一人でこの野球盤をやっている姿は、あまり人には見せられないね・・・
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今でこそ島では一人暮らしを満喫しているが、ここまで来るにはまだまだ葛藤がありました。

To be contiue・・・  ~ヤ・・・ヤスデの大群が!!!~
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by isolabella2005 | 2006-06-24 23:13 | 八丈島

夢の島暮らしストーリー⑦ ~家族は他人!~

目出度い契約の日から、坂をころげるように家庭崩壊に加速が進む・・・。まるでテレビのワイドショーの出演者にでもなったような感じである。頭にきた僕は、その日以降、家の話題は一切しないことにした。結局年末の大掃除は弟に来てもらい、2人で2日がかりで行った。居抜きのため、必要のない家財道具や食器等が山ほどある。「おっ、いい家具だな!」と思うと、中は全部ねずみに食い荒らされているといった状態・・・特にひどかったのは布団。囲炉裏の部屋の押入れに高級そうな布団セットが布団ケースに入ってしまわれていた。これはクリーニングにだして客用に使おうと押入れからだすと、なんとそこはねずみの巣!!布団はボロボロ状態。その上押入れ奥の壁には、まるで漫画のような大きなねずみの巣穴がある・・・これはショックだった。早速実さんを呼び、いらない物を運んでもらう。今から考えると本当に住めるのかな?と不安であった。よくまあここまで変わったと我ながら感心している。なんとか部屋中のヤスデの死骸やねずみの糞等のゴミをきれいにし、必要のないものは全部捨て、なんとか片付いてきた。後は1月末の引越しまでに宗さんに内装を、伊藤さんにペンキ塗りをやっておいてもらうだけだ。果たしてこの廃墟の家がどこまで復活するか・・・怖いようなワクワクするような、まあ楽しみである。
東京に戻り、年末からは家具選びに没頭!!これも家族には一切相談せず、自分の好みで決めていった。しかし悲しいかな、何故かベッドはダブルベッドを選んでしまう・・・。家具は基本的にヤフーオークションでゲット!!これは大成功であった。いい家具が本当に安価で手に入る。中古もあれば新品もあるが、結果的にすべて納得のいくいい家具ばかりであった。特に念願のコルビジェのトリプルソファなんかは定価で40万円近くする商品を7万円(新品)でゲット、また高級で有名な広島府中の食器棚なんかは1年落ちの中古で2万円!これはほとんど新品に近い状態であった。この他にもダイニングテーブルセットや下駄箱、ホームシアターセット等、あげたらきりがない。その上居抜きのため、冷蔵庫や洗濯機、テレビ(3台)、ビデオ(2台)、扇風機、掃除機等は、まだまだ新しくそのまま使用することができた。今から考えると部屋をイメージしながら好きな家具を選んでいたこの時期が一番楽しかったような気がする。しかし毎晩遅くまでオークションで戦っていたため、寝不足と肩こりにはまいった。
そしていよいよ引越しも近づく。1つ1つ別々に島へ送ると送料が馬鹿にならないので、1度東京の家に配送を依頼し、ここから引越し便でまとめて竹芝桟橋へ持参、船で搬送する。当初コンテナで半分ぐらいと考えていたのだが、実際に詰め込んでみるとめいっぱいになってしまった。結局送料はコンテナ1台分で15万円強、これに車(2000cc車)の送料が約45000円。合計で20万円以上送料でかかってしまった。島ではペンキ屋の伊藤さんが仲間を連れて待っていてくれるとのことなので、送料はかからない・・・ありがたい!!
かくして1月29日、大雨の中、八丈島へと引っ越すのであった。もちろん、この引越しにも家族は立ち会わず、見るに見かね僕の両親が手伝いに同行してくれた。ついに別居生活!が始まり、14年続いた結婚生活の終止符も近づいてきた?・・・果たして家族の行方はどうなるのか!そして僕はここで大きなミスを犯してしまったことに、まだ気づいていないのであった。


To be contiue・・・  八丈島の冬は南国ではなかった・・・
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by isolabella2005 | 2006-06-24 01:02 | 八丈島

夢の島暮らしストーリー⑥ ~契約に向けて、いざ、進まん~

開き直りモードで決めた物件条件を見事すべて満たした物件に出会ってしまった!それも島の卓球大会優勝という尾ひれまでつけて・・・。その日は最終便で帰る予定であったので、優勝賞品の“米”を受け取り、まるで逃げるかのようにそそくさと空港へ向かった。後に知らされることになるが、この時満足して帰京したのは僕だけだったようだ。この時から家族と気持ちのずれが出てきていた・・・というか、本気にしていなかったようだ。時は既に遅し、後悔先に立たず・・・家族で移住を考える場合は、まずは家族、特に奥さんのモチベーションをグッと掴むプレゼンテーションをしなければならない。プレゼンのプロが、目先の“米”に惑わされ犯した、最大のミスであった。
当時、そんなことには全く気づかず、僕の頭の中は“銀行の融資”でいっぱいだった。販売価格はなんとか1000万円で交渉が成立したものの、周知の通り自営経営者には銀行は冷たく、中々審査が進まない。たまたま七島信用組合の副支店長が卓球の知り合いということもあり、一生懸命対応してくれたお陰で無事融資も承認されることができた。結局お願いしてから、承認されるまで4ヶ月近くもかかったことになる。後から聞いた話では、島に家を買っても、すぐに嫌気がさして売りに出してしまうのではないか?等といった懸念が組合側にあったようだ。まあ、島の信用組合なので島民の組合員が融資対象となるため、僕のような外者への融資には大変気を使うらしい・・・とりあえず、現状1年半は経過したが、不満も全くなく島で暮らしているので、信用組合の人たちも安心しているかな?そして目出度く2004年12月5日、ついに契約へと漕ぎつけたのである!!念願の土地と建物の権利書を受取り、ついに生まれて初めて、そして夢にまで見た島の我家を手に入れたのだ!苦節43年(?)、ついに夢にまで見た家主となった!!僕はこの喜びを少しでも早く家族に伝えたく、すぐさま飛行機に飛び乗り杉並の家へと帰っていった。しかしそこで待ち受けていたのは・・・なんと人生最大のショックであった!!そしてこの記念すべき目出度い日から、家族崩壊の危機が始まったのでる。


To be contiue・・・
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by isolabella2005 | 2006-06-22 00:16 | 八丈島


移住した島での生活と、花びらのアート「インフィオラータ」の徒然話
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