被災地に10万本のバラの花をおくるプロジェクト「Flower's Yell」。
被災地訪問3日目。。
気仙沼を朝出発し、南三陸町へと向かった。
ここも被害の大きかった被災地である。
何度津波で街が流される映像を見たことか。。。
今回、僕はどうしてもこの町を訪ねたかった。
それは町の「防災対策庁舎」に花を手向けたかったから。。
この「防災対策庁舎」は、津波が押し寄せる直前まで
住民に避難を呼びかけ、多くの職員が被害にあった建物である。。
新聞に掲載された庁舎が津波に飲み込まれる一部始終の写真が、
とても絶望的で言葉にならなかった。。
鉄筋コンリートの3階建ての建物の屋上をも飲み込む津波。。
鉄柱によじ登り九死に一生を得た職員。。
しかし多くの職員は屋上に逃げたものの、
予想以上に大きな津波に飲み込まれ亡くなってしまった。。
庁舎の後ろに見える病院も壊滅的な状態だった。
2階部分に船が乗り上げ、4階部分まで被害を受けている。
あれから3ヵ月。。
僕はバラを届けにこの場所を訪れた。
庁舎は3ヵ月前と全く同じ姿で佇んでいた。。
入口には花や千羽鶴等がおくられていた。。涙がでてくる。
3ヵ月前、ここで絶体絶命の恐怖の中、
住民の避難を呼びかけ、志半ばに亡くなっていった職員達。
建物の中は言葉にならないほど悲惨な状態だった。。
この町もまだまだ復興にはほど遠い現実。。
今の僕らにできることは、花を手向け手を合わせるしかなかった。。
僕らは初めに伊里前小学校を訪ねた。
ここには津波で壊滅的な被害を受けた名足小学校が間借りしている。
この小学校は少し高台にあるのだが、真下にある町は壊滅的な状況。。
天国と地獄ではないが、ほんの少しの差で明暗を分けた。。
破壊された建物の後ろに見えるのが小学校である。
こちらの学校で両校の校長先生にバラをお届けした。。
続いて訪ねたのが入谷小学校。。
こちらの学校は被災現場から少し離れた高台の小学校で、
今まで訪ねた学校の中では一番穏やかなイメージを受けた。
学校へ向かう途中、橋げたが崩れた鉄道の駅が目に入った。。
続いては最も被害の大きかったは町の中心部にある志津川小学校。
ここは津波ですべて流されてしまった町の高台にある小学校。。
この小学校も本当に危機一髪!!
町の復興はまだまだ先が長そう。。。
いまだ水道の復旧率は1%強だという。
途中営業していた食堂では、トイレに流す水もなく、
毎日隣町まで水をもらいに行っているらしい。。
気仙沼でも思ったが、これが3ヵ月経った被災地の現実。。
何も復旧していないといっても過言ではない!!
こういった現実を世の政治家たちはどう感じているのだろうか??
いっそのこと国会を気仙沼か南三陸に移してみてはどうだろうか??
全く蚊帳の外といった感じがしてならない。。
南三陸町最後の小学校は戸倉小学校。。
こちらも津波で壊滅的な被害を受け、
戸倉中学校とともに、廃校となった旧善王寺小学校を使用している。
なんと町から24kmも離れているのだ!!
しかしこちらも入谷小学校同様、穏やかな学校である。
両校の校長先生としばらく話をさせていただいた。。
どちらも在校生には被害はなかったようだが、
本当に恐ろしい体験をしたと話されていた。。
南三陸町もテレビや新聞では何度も目にしていたが、
現場は予想以上に酷い状態だった。。
気仙沼も酷いと思ったが、南三陸町は別の意味で酷い。。
ここは町がすべて津波に飲み込まれてしまった。。。
何も残っていないといっても過言ではない。
なので町の奥まで見渡せてしまうのだ。。。
震災前の写真を見ると、ここには人々の暮らしや営みがあった。
たくさんの家や建物もあった。。それがすべて無くなってしまったのだ。
3ヵ月経っても一向に変わらない町の様子に、
どうやって頑張ればいいのだろう??未だ国はその指針すらできていない。
僕は基本的に政治や経済に興味があるわけではない。。
そんな人間でも、この現実を目の当たりにすれば“おかしい?”と思える。
それほど危機感のある状態なのだ。
本音を言わせてもらえば、
誰が総理大臣でもいい。誰が大臣でもいい。どちらが与党でもいい。。
一刻も早く本気で復興に乗り出してほしい!!
今日、先日バラを届けた気仙沼市の浦島小学校の生徒からメッセージが届いた。
ここは震災の影響で生徒が13人になってしまった小学校である。
「僕の家は港の近くにあり、津波で家が流されてしまいました。
僕はもう立ち直りました。。皆さんも頑張ってくください。」
地獄を見た小さな子供が、明日のために一生懸命生きようとしている。
その希望を踏みにじるような国にだけはしないでほしいと、心から願う。。